小学2年生の頃、東京に住んでいた私はイギリス移住が確定するまでの期間、イギリスに行きたいかどうかという自分の日替わりの気持ちを日記に書いていました。
ある日の日記にイギリスに行きたい理由として、「大人になったら、英語がしゃべれて、日本語もしゃべれるんだもの!」と書いてありました。
当時の私はイギリスに行けば自然とバイリンガルになれると思い込んでいました。
でも実際は違いました。
8歳という幼い年齢でイギリスに引っ越した私は数年で英語が話せるようになりましたが、日本語を使うのは家で家族と話す時だけ。私の日本語力は小学2年生レベルのまま止まってしまいました。
イギリスで生活をしている分には日本語が下手でも困ることはないので、私は思春期になるまでその状況に危機感を覚えませんでした。母国語を忘れるという恐怖を感じ始めたのは、自分のアイデンティティにとって日本の文化が重要だということに気づいたからだと思います。イギリスに暮らしていても、私は日本のドラマを見たり、日本の雑誌を読んだりするのが好きでした。そして現地校でまわりのイギリス人女子達が話している話題(週末に7人の男性とキスをしたとか、ドラッグを持ってる持ってないなど)にだんだんついていけなくなりました。そんな私は大人になった時に日本語を話せなかったら嫌だ!と強く感じたのを覚えています。
そこで私は中学から週5日の現地校に加えて土曜日の日本語補習校に通い始めました。私のように幼い頃から海外に暮らしている日本人の子供の多くは休日の時間を割いて補習校に通っていますが、ただでさえ慣れないことが多い海外生活の中で、現地校と補習校の活動を両立することは子供にとっても親にとっても容易いことではありません。私自身は2年半両立した後、インターナショナルスクールの高校に入学し、週5日の学校生活で英語と日本語を両方勉強するという選択肢を選びました。
日本の国語の教科書を使って数十人で授業を行なう補習校とは対照的に、インターナショナルスクールでの日本語の授業は夏目漱石、泉鏡花、川端康成、遠藤周作、松尾芭蕉など様々な文学について少人数で深く議論したり、詩や小説の短い抜粋について長いコメンタリーを書くというとてもハードな内容でした。漢字もろくに読めなかった私は授業の事前準備や宿題に膨大な時間を費やし、日本語の猛勉強に取り組みました。その際に一番難しかったことは、漢字や熟語を覚えることではなく、日本の文化や習慣に関する自分の知識が欠落しているという事実と向き合い、イギリスと日本という異なる文化の間で自分のアイデンティティや立ち位置を確立することでした。
補習校に通うにしても、私のようにインターナショナルスクールに通うにしても、独学で学ぶにしても、幼い頃からの海外生活における母国語の維持と強化には時間と労力がかかります。私の場合は自ら日本語を失いたくないと思って日本語の勉強に取り組める環境を整えてもらいましたが、幼い頃から海外に住んでいる子供の中には日本語を勉強したいという気持ちが芽生えない子や勉強したくても勉強できる環境が確保できない子もいるかもしれません。子供の頃から海外に暮らせば自然とバイリンガルになるという考えは大きな誤解なのです。