大学卒業後、私はパフォーマンス・サイエンスという学問を英国王立音楽大学で学びました。パフォーマンス・サイエンスとは、心理学・生理学・経済学などの知識を利用して、人間が様々な分野において行うパフォーマンスについて研究する学問です。
例えば、以下のような研究テーマが挙げられます。
- 効果的なパフォーマンスを作り出す環境や学習の条件
- Goodレベルに到達する人とExcellentレベルに到達する人の違い
- パフォーマンスにまつわる不安やストレスの対処法
私は音楽の演奏というコンテキストでこの学問を学びましたが、パフォーマンス・サイエンスの知識はステージの上に立って届けるパフォーマンスに限らず、スポーツ、教育、ビジネス、医療など幅広い分野において役立つものです。
様々な分野における「パフォーマンス」
例えば、アスリートだったら試合、教師だったら授業、ビジネスパーソンだったらプレゼンや交渉、外科医だったら手術などのアクティビティを一種のパフォーマンスとして捉えることができます。これらのパフォーマンスは全て「長期に渡ってスキルを高め、世間から評価される高ストレスの環境下で本番に挑む」という共通点を持っています。どの分野においても、本番で高いレベルのパフォーマンスを行うためには相当な努力と時間が必要です。元々持っている性格や能力ももちろんパフォーマンスに影響を与えますが、効果的な目標設定を行ったり、モチベーションを高く維持する環境を整えたり、自分の思考や感情を客観的に把握するためのメタ認知を強化したりすることで、自分自身が生まれ持っている能力をできる限り伸ばすための効果的な学習や練習を行うことができます。
メンタル・タフネス
さらに、「本番」という特殊な環境そして限られた時間において発揮できる能力を評価されるパフォーマンスというアクティビティには、多大な不安やストレスがかかります。人間であれば、時には失敗してしまうこともありますが、職業によってはたった一つのミスが致命的になってしまう場合もあります。能力を高め続けてExcellentなレベルに到達するためにはそういった高ストレスな状況、挫折や壁を乗り越える「メンタル・タフネス」と呼ばれる力も必要となります。
パフォーマンス・サイエンスの応用例
スポーツや音楽などパフォーマンスを目の前で評価する観客がいる分野では、パフォーマンス向上につながる正しい努力の仕方や効果的な時間の使い方、不安やストレスと上手く付き合うためのメンタル・タフネスの重要性が既に認識されています。例えば音楽では、多くの演奏家がパフォーマンス前に悩まされる不安にMPA(Music Performance Anxiety)という名称が与えられていて、その特徴や対処法の研究が行われています。そういった研究の結果、英国王立音楽大学では、コンサートやオーディション会場のような臨場感の溢れる環境でリハーサルを行えるパフォーマンス・シミュレーターというファシリティが設けられていて、演奏家の音大生達のMPA対策に役立てられています。
しかし、スポーツや音楽以外の分野では、同じように本番という高ストレスの環境下で能力を発揮しなければならないのにも関わらず、メンタル・タフネスの重要性や不安対処法、パフォーマンス向上につながるテクニックやコツを学ぶ機会がまだ少ないように感じます。
全く関連性のなさそうな分野でも、パフォーマンスの視点から考えると意外と共通点が存在することはあるので、自分とは異なる分野で活躍している人達が利用しているパフォーマンスのテクニックやスキルを学ぶことは、自分の能力を高めることにつながると思います。例えば上で紹介したパフォーマンス・シミュレーターは、音楽の演奏の本番に存在する様々なCUE(スポットライトや観客、拍手などの合図)を取り入れることで、本番で感じる不安やストレスを事前に体験することを可能にしてます。個人でシミュレーターを作ることはできなくても、そのアイディアを応用し、本番に存在するいくつかのCUEを意識的に取り入れた環境でリハーサルを行い、本番で感じそうな不安やストレスの反応を予め体験しておくことはできるかもしれません。
目標達成に役立つパフォーマンス・サイエンス
私自身はパフォーマンス・サイエンスの知識を音楽とは全く関係のない分野に応用することで、これまで就活や仕事で様々な目標を達成してきました。例えば、日本語の試験対策クラスの教師を担当した際、試験を受けた生徒全員が好成績をおさめることができました。もちろんそれは生徒達が努力をした結果なのですが、私が彼らの学習を効果的にサポートできたことはパフォーマンス・サイエンスの知識を応用したおかげでもあると思っています。具体的には、生徒達のパフォーマンスを高められるように「モチベーションを高く維持する環境」を意識して作ったり、「目標を達成する上で重要なセルフ・エフィカシー」を育てる努力をしたり、自分自身の教師としてのパフォーマンスを高めるために「メンタル・タフネスを強化するテクニック」などを利用しました。このブログでは、前に紹介した実験心理学の知識に加え、パフォーマンスを行う本人やパフォーマンスの指導を行うコーチやメンターの立場の人達がパフォーマンス向上に利用できる実践的なテクニックやスキルも少しずつ紹介していきます。
菅沼ケイ