私はオックスフォード大学で実験心理学(Experimental Psychology)を専攻しました。実験心理学とは、科学的な実験検証を行い、人間の行動の背景にある脳の仕組みや心理的メカニズムを理解しようとする学問です。
実験心理学の研究トピック
実験心理学には、認知心理学、発達心理学、社会心理学など様々な分野があります。そして、研究されるトピックは多岐にわたります。例えば、人が物事をどのように記憶しているか、五感情報をどのように処理して世界を知覚しているか、精神疾患を患っている人の思考や行動が他の人とどのように異なるか、社会的・文化的要因が人の行動にどのような影響を与えるか、などが挙げられます。
研究で行われる実験
実験心理学の研究で行われる実験は、分野・トピック・研究目的・研究者のアプローチ・予算・期間など様々な要因によって異なります。例えば、紙とペンを用いたシンプルな形式の実験もあれば、研究者がデザインしたコンピューターのプログラムを使う実験もあり、日常ではあまり見かけることのないアイトラッキング(どこを見ているのかを特定する方法)やtDCS(頭皮の上から直流電気を流して脳の特定の部位に刺激を与える方法)といった特別な機器を使う複雑なセットアップの実験もあります。
実験心理学が社会に与えるメリット
実験心理学の研究結果は、心の健康管理、教育、産業、政策など様々なセクターに応用され、公共の利益につながります。例えば私が大学卒業後に勤めたオックスフォード大学の実験心理学部の研究室では、脳卒中などによって脳にダメージを負った患者さんを対象に実験を行い、認知機能の障害を簡単に、かつ素早く可視化するツールを開発するなどして、病院での効果的な認知リハビリの実施に貢献していました。
実験心理学が仕事・学業に与えるメリット
実験心理学の知識には、もっと身近な場面で誰もが活用できるものも沢山あります。例えば仕事や学業においては、人間によくある認知の誤りを知ることで、情報をもっと客観的に分析し、物事の本質を見抜くための対策を立てることができます。他にも、学習プロセスや行動のメカニズムを知ることで、それらの仕組みを利用して、より望ましい習慣をつけることができます。英語学習者であれば、リフレーミング(物事の見方を変えるテクニック)を使うことで英会話の失敗から立ち直ってモチベーションを維持したり、メタ認知(自分の思考や心の動きを客観的に把握する能力)を強化することで、自分の英語力や英語学習に足りない要素を見極め、英語に関する知識やスキルをより効果的に吸収したりすることが可能になります。
実験心理学が人間関係に与えるメリット
他にも、実験心理学を学ぶと普段当たり前のように行なっている多くのことがどれだけすごいことかに気づき、自分や周りの人への理解が深まります。そしてその知識は、より円滑な人間関係やコミュニケーションにつながります。
例えば「友達や同僚と会話をする」という行為。私たちのほとんどは、友達や同僚の顔を瞬時に識別し、会話を始めることができますが、それができない人も中にはいます。相貌失認(Prosopagnosia)という脳障害を抱えている私の先輩は、顔を見て人を識別することが難しいため、私と会っても名前を言わない限り、私のことが誰だか思い出せません。
そして会話を行う際、人は単語の意味や文法のルールなど言語情報の他、表情、ジェスチャー、声のトーン、テンポなど様々な非言語情報を頼りに相手のメッセージを解読しています。ですが、そういった情報の処理の仕方や受け取り方は人によって異なり、場合によっては日常生活に支障をきたすほど「言葉を字義通りに受け取ってしまう」、「相手の感情を読み取れない」、「適切な距離感が分からない」など様々な問題を抱えて会話がうまくできない人もいます。
目に見えなくても世の中には自分が当たり前のようにしていることをするキャパシティがない(もしくは乏しい)人もいるーそれを知っているのと知らないのとでは、今まで出会ってきた人、これから出会う人の行動の解釈、そして彼らに対する理解や態度が大きく変わってくると思います。もちろん、自分自身に対する態度や肯定感にも大きな影響を与えます。実験心理学を通して自分や周りの人の思考や行動の特徴・リミットを認識すれば、誰もがより望ましい未来を作るためのヒントを得られるのではないかと思います。
菅沼ケイ